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本格的キャンプへ

 同じ、思い出になりますが、キャンプは始めると道具が欲しくなる、道具が揃うとますますキャンプにのめり込む。結局はこの繰り返しで本格的になっていくものです。その通り道具は少しづつ増えていきました。キャンプも近場で何回かしました。

 その頃、丁度アウトドアブームがあり、巷では色々な情報が出ていました。しかし、ビギナーの私たちはその情報の具体性にも入れられないほどの初心者だったといえます。キャンプ道具メーカーのコールマンなど、ただの外国製品としか認識もないぐらいでした。でも、キャンプをやりたいという私の希望、いや夢はそんなことなどその頃はどうでも良いことでした。

 繰り返しになりますが、子どもの頃は、山の中をはいずり回って?遊んでました。体が不自由な為、みんなについていくのも大変でしたが、誰かが必ず待っていてくれたものです。それが今にない昔の子供たちの良いところでもあったのです。薩摩独特の郷中教育の良さの一部でもありました。このことは後に触れることもあると思います。何はともあれ、その自然の中での遊び、この面白さはそのまま大人になっても忘れられないものです。山ぶどう、柿、山芋、あけびとりなど、また蜂の巣とり、川遊びや魚釣、魚焼きやたき火、ナイフとマッチ、塩さえあればほぼ何でもできました。山に迷っても2〜3日は生き延びる術ぐらいは持ってましたね。ファミコンブームとかありましたが、それも子どもと一緒に凝りましたが、やはり田舎の創造的な遊びには足下にも及びませんね。これらの内容に関しては今の子供たちに教えたいものです。

 私の子供らにも知って貰いたかったのもキャンプに集中した動機でもあります。私らはそのブームにのっかった訳でもなんでもなく、たまたま初めが一緒だった訳で、車も箱になった方がきっかけ的には強いですね。その頃、気に入っていたキャンプ場はかなり混んでいましたが、今じゃほとんどいません。何回かしましたが、誰もいない時がほとんどです。ま、気楽で一向に構わないですけどね。

> キャンプでの遠出は阿蘇が一番最初でした。5月はいつも旅行の予約が必要でしたが、初めて、行き当たりばったりで必要道具や食料を積んで阿蘇に向かいました。キャンプ場はほとんど知らず、前に来たことのある音楽イベント「カントリーゴールド」の時に気付いた、小さなキャンプ場に行ったのです。ブナの林の中の普通のキャンプ場でしたが、バイクでの若者も来てました。その夜は彼らとも楽しく語らいながら、過ごしました。雨が少し降ってたのとトイレが今一でしたが、次の日は金のかからない広場などで目一杯遊んで帰りました。

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 予定なしの冒険的な旅行の面白さを知り出したのもこの頃でしたね。

キャンプ事始め、大ドジ!

 テントとランタンを買っただけで、キャンプが出来ると思ったのは素人のあさはかな考えだったのでしょうね。

 それは16〜7年前のこと。懐かしい想い出だ。まずは近場でやってみよう。その候補に上がったのが、夏の間だけキャンプが出来る場所でそれ以外は勝手にできるスペースのある海水浴場の松林、錦江湾の奥にあります。ここはアウトドアの先輩友人が教えてくれた所で穴場なのです。トイレだけは使えるようなってますが、もちろん障害者用ではない。今ここは残念ながら良からぬ人たちが騒ぎ過ぎた所為か夜は施錠されてしまいました。いい場所だったのに・・・

 飯を作る道具も何もないので、とりあえず家内が弁当だけをこさえて、夏休みの夕方そこに向かいました。常連の人たちのテントが5〜6張すでに出来ています。その隙間に入らさせて貰いました。さて設営。といってもテントを張るだけなのだが張ったことがない。説明書を見ながら始める。簡単かと思いきやそうはいかない。まだ少し明るかったので、今のうちに早く済ませたい。今でこそ子供たちも大人なので何も私がする事はないが、その時長男はまだ中学生、残りは小学生でした。私は不自由な体でもこういったことも好きだし、あまりそんなに苦にはならなかったですね。しかし、多少焦りが出て来てました。

 テントはロッジ型なので、まず骨組みが必要です。それは何とかできました。次に中の方のインナーテントを張ります。骨組みに固定するのですが、ぶら下げてみると何となく違和感があります。下の方はペグを打つのですが、これも何となくしっくり来ない。時間だけが経っていき、焦りも大きくなって来た。隣の住人さんはもう夕げの支度だ。こちらを見ながら何かほくそ笑んでいる感じがする。その時、図を見て気がついた。

 長男と家内が色々試している。「ちょっと待て。とりあえず外せ。」でももうある程度固定している。さっきの視線が気になる。「どうでもいいから早く外せ。訳はあと。」なんと逆さまに張っていた。やばい、笑うはずだ。訳も分からず家内達は外し始め、私も手伝い完全に外し終えた。こっそり家内に(逆さまだ・・)と伝えた。家内途端に赤くなり(え〜っ)。ビギナーとはいえとんだドジだ。隣もこっちが一生懸命なので言い出しづらかったのだろう。時間もかかってるし、回りも困ったことだったろうなぁ。

 取りあえず、今度はとっとと作り終えた。しかし、ホッとする間もなく、回りは暗くなった。ランタンに火を灯さないと。しかし、これも触ったことがない。火をつけるだけだろうに・・という甘い考えがドジに輪をかける。経験のある人はなんてことないのだが、ランタンにはマントルという真ん中の燃える芯になるものがある。こいつが”問題だ。こいつを一回燃やさないといけない。その仕組みが分かったのも20〜30分後、そして買いおきのそのマントルも全て使い果たし、結局少し中途半端に燃えたマントルだけが残り、怪しげな光を放つランタンがようやく出来ました。は〜あ。

 さて、飯だ。簡単な弁当だが潮風を浴びながら、家族みんなで楽しいささやかな夕げが始まった。ビールも美味い。夢だったアウトドアが出来た。普通の人には何ともないことかも知れないが、単純な私はとても幸せに思えたもんです。子供らも食べ終えて走り回ってます。桜島にかかる月がまた奇麗でしたね。夜も更けた寝よ〜っと。・・が

 マットも寝袋もまだ買ってない、持ってきたのは毛布のみ、下が固い。少し石もある。やっぱビギナーです。そんなことは何にも考えていない。設置場所を間違えた、いや石を取れば良かっただけ。寝られたもんじゃなかったですね。しかし、子どもは強い。幼い頃から色々な所に旅行し、車の中でも寝た経験もあるのでぐーぐー寝ている。

 さて、私ら夫婦は寝つけませんでしたが、爽やかな朝は迎えました。今回は実験キャンプだったんで、もう帰ります。手分けして片づけます。末っ子はまだ小学低学年でしたが、甘やかすことはしません。必ず出来る仕事を与えます。ペグなどやロープを集めさせ数を確かめさせて管理させます。以来、彼は黙ってても完全に管理するようになりました。私が不自由なだけにこういったことは自然と育つみたいですね。

 本当に懐かしい想い出です。

普通の旅行からアウトドアへ

 昔からやっているキャンプなどについて少しづつ書いてみます。

 5月の連休は私の母も含めて6人であちこちと旅行をしたのは少し前に書きましたが、実は子どもが大きくなったのと、1200ccのホンダシティでは無理が出て来だしたのです。法的には6人乗れましたが、狭い狭い。母も一緒に行くのも大変になり、普通のドライブも(その頃少しゆとりも出来てきて、連休以外にも遊びに行けるようになっていた)断る事もあるようになってきて、それで箱型が欲しくなったとの経緯もあるのです。

 でも、せっかくボンゴを買ったのに、丁度その頃から母も認知症の傾向が始まり、さっぱりついて来なくなりました。それから一緒に行けたのは数回きりでしたね。本当に残念な事でした。どこにでもある嫁姑の確執もうちの場合も当然ありました。しかし、何年もしないうちに何ともなくなったのは旅行がきっかけでした。普通の仲の良い親子になってくれたのです。ですから、いけなくなった事は辛いものがありました。一方で父が亡くなり、大学に行かせてもらったりと随分苦労をかけましたが、ま、兄弟の中では一番あちこち連れて行ったり、孫達と楽しく過ごさせた事は何よりの恩返しだったと思ったりもしています。それからは声掛けはもちろんしましたが、行こうとしなかったので、仕方なく私の家族だけで行く事が多くなりましたね。近場から遠くまで良く行ったと思います。

 で、時折、釣りとかも行ったりして段々アウトドアに傾いて行きました。そして、テントに手を出したのが、今度はそう、キャンプもアウトドアの仲間に入ってきたきっかけになったのでした。ついに障害を持っておる私の小さな夢が叶いつつあったのです。小さい頃、不自由な体でも野山に行くのが大好きで、自然のその何ともいえない楽しさが今度は家族と再度味わえると思うとワクワクしたものです。さらに、子供たちにも必ずいい影響が出ると思うのも教育の一環として楽しみでもあったのです。

 そして、ランタンも買いました。テントとランタンがあればまずキャンプはできます。事始めでした。

Rantan

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