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障害者の車の免許-4

 ホンダシティの寿命が来ていたので、次は何にするか迷っていました。重量制限(1.2t)のため車種選定に限りがあり、悩んでました。普通車でも1200ccぐらいまでしか乗れないし、子どもは大きくなってくる。家族5人だけでもみんな乗るとかなり窮屈で、しかもお袋まで連れて旅行に行くには1.2tは限界が来ていました。これは重量をせめて1.5tに書き換えないともっと大型の車には乗れない、せめて1600ccクラス。そこでいよいよ書き換えに行く事になりました。

 するとたまたま免許更新の時期に来ていたので、やり方をついでに聞こうかと思い、眼鏡等の審査窓口で聞いてみました。その前にその担当の人、以前書きましたが私の免許のゴチャゴチャした裏面の条件「手動式アクセルブレーキ」「旋回式ハンドル装置付」「三・四輪に限る」「オートマチック車に限る」「総重量1.2tまで」を見て、「何これ?面倒くさいね〜」それようのスタンプをいくつも探しながら、そして「よし、もっとシンプルにしよう!後ろの方々、他の窓口に行ってください。ここはしばらく封鎖します。」で、勝手に札止め。

 「手動式アクセルブレーキで障害者が二輪に乗れる?おかいしいよね。」と一人言もいいながら書き換えている。そのシンプルな条件、「普通車は手動式アクセル及び主ブレーキのAT車に限る」になりました。さらに「総重量1.2t?何?まだこんな条件を持ってるの。別にハンドルは普通に回せるでしょう?書き換えるってこの事?1.5tに?面倒くさいよ。制限無しにすれば。え〜〜っ?そんな事ができるの?という事は本当の念願だったボックスカーに乗れる!!やった〜。

 「帖佐にある県の試験場に行って審査を受け、無制限にというか、重量制限を外す申請をしなさい。」と教えてくれた。この担当の方は前年まで、その試験場で免許審査の担当していたから詳しかったのです。ラッキーでした。本当に丁寧に教えて頂きました。ありがとうです。後の方本当に申し訳けなかったです。

 そして、すぐに実行。試験場で申請し、審査を受けました。審査とは試験場内のコースを2000ccの車を試験官と一緒にしばらく回るだけです。妙に緊張してしまい、右折時、直進車を無視して行こうとし、ブレーキを踏まれてしまいました。S字とかも入ったり、T字路では、昔の試験の時のように「右よし、左よし」などと言ったら試験官が笑いながら「そこまで言わなくてもいいよ、そんなに緊張しなくていいですよ。試験じゃないんだから、見るだけです。ちゃんと運転できてますからOKです。」あらら。

 晴れて、重量制限がとれました。万歳!これはうれしかったですね。もう早速、車を物色、先に書きました「トヨタ ライトエース」2200cc、8人乗りが手に入ったのです。この頃は仕事は順調だったので、現金で買いました。この車で、まぁあちこち行きました。次の項にて色々書きます。この項は終り。

 鹿児島西南・坊津 
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障害者の車の免許-3

 1996年(43歳)ぐらいまで、シティには乗り続けましたね。約12年、さすがに車はボロボロになりました。バックドアには穴が開き、終いには前輪の車軸が折れてしまいました。さすがにアウトでした。で、三代目を画策し始めました。シティは家族にとってかなりの愛着を持ってたんですが、私は正直、あまりいい車だったとは思っていません。色々出かけて本当に感謝しているし煩悩もあって別れる時はもちろん悲しかったです。しかし、買う当初からトラブルが続き販売会社(実はその時義兄が勤めていた)との関係も信頼を置けなかったのです。だからホンダ車自体嫌いになっちゃったんですね。実は一代目のカローラの時、そこから買ったわけではないのに、故障の時、非常に世話になったトヨタ系列の整備工場長さんがおり、次はそこの関係からと決めていたんですが、親戚の義理に負けてしまったのがいけなかったのです。

 まず、ハイルーフのせいか、買ってすぐにギシギシ音がする、おそらく普通のシティに屋根だけ付け替えた。それが原因だったのでしょう。そして、一年過ぎた頃の冬、エンジンからカラカラ音がし出した。修理に持ち込むとエアコンのプロペラが折れてしまったそうだ。保証期間外なので、交換修理代80,000円ですと。なぬ!一年で故障してなんで?で、義兄を通して(そこはもう辞めていた)交渉、気の毒だから半分は販売会社が持つので40,000円は払って欲しいとの事。バカじゃないの?工場長と直接談判、「なんで、そうなるの?私が何か使い方間違いました?」「前年の冬の時、できたらたまにはエアコンを付けた方が良かったんです。」「そんなことどこに書いてあります?説明もなかったですよ。エアコンってそんなやわなの。」「そういう訳ではないけど、販売代理店としてはメーカーから買わなきゃいけないので。」「その事はこっちは関係ないです。じゃ、百歩譲って、もし交換修理をしたとする、次は壊れない保証はあるんですか?」「それは補強板を入れるから大丈夫です。」ほら、ボロがでた。こうなると私は厳しい。

 「何?じゃクレーム商品じゃないか。補強するって、欠陥を認めたと同じでしょ。消費者センターと相談してしかるべき処置を取りますので、とりあえず車には一切手を付けないで下さい。私にとって車は足代わりだし代車もないから、営業にはタクシーを使いますのでご了承ください。それも手続きとらせて下さい。」で、交渉終了。

 30分後、義兄と所長が慌てて相次いで電話してきた。所長「確かにクレーム商品に近いと思いますので、メーカーと交渉しました。交換品代は要りません。申し訳ありませんでした。」その後、義兄から「えらい脅したみたいだな。向こうは承知したみたいだけど、修理費7,000円だけは義理もあるんで払って欲しいけど。」少し怒り気味に言うんで「兄貴もちゃんとやってよ。脅しなんかじゃないよ。他の会社だったらこれだけじゃ済まさないよ。兄貴も義理があるだろうから払うけど、信頼のない会社にいたもんだね。」と皮肉たっぷりに言ってやった。身内のことながらあまり信頼のない兄なんで・・。

 以来、ホンダファンには申し訳ないけど、ホンダには信頼は置いてません。結局、車検やメンテも義兄の頼みで別な整備工場でしました。でも、そこでも色々あったんで、障害者はしっかりしたディラーで買って、メンテもそこで受けるべきです。少々高くても。このトラブルは次に活かせました。

 そうそう、肝心な三代目の車「トヨタ ライトエース」一番安い奴。念願の箱型。免許の重量は?ついに書き換える事ができました。次回・・・

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阿蘇「夢高原キャンプ場」での我が愛車

障害者の車の免許-2

 私のその時の(1976年)免許の条件は、「手動式アクセルブレーキ」「旋回式ハンドル装置付」「三・四輪に限る」「オートマチック車に限る」「総重量1.2tまで」とだらだらとなっておりました。特に「総重量1.2tまで」というのがかなりのネックでした。総重量が1.2トンという事は人を5人乗せたら、55kg×5人の275kg、総重量からそれを引くとなんと車重量は925kgと言う事になります。従って、その頃の普通車ではだいだい1200ccぐらいのものしか無かったですね。1400ccでカリーナだけでした。

 私は結局、親から超のつく中古車、カローラを買ってもらい乗ったのでした。ま、正解で、違反はなかったものの軽微な事故が多くて車はボロボロでした。私が免許を取った時期から2〜3年すると、障害者の免許条件は少し緩和され、その総重量というのも確か1.5tまでになったようです。というのは多分、パワステの車が多くなったことからだと思います。そうなるとだいたいの普通車には乗れるようになりましたね。私は以前同じ条件のまま、その車に7〜8年乗り続けましたね。実は県の管轄する車の試験場に審査の申請すれば1.5tに書き換えられたようです。でも忙しかったのでそのままでした。後に換える事になりますが、それは次に・・・

 二代目の車は、その1.2tの条件にあったホンダシティ・ハイルーフの新車を買いました。この時は結婚もし、子どもも3人になったので、色んな所に出かけるには少し狭かったのですが、まだ子どもは小さかったのでお袋まで乗せてあちこち行きました。5月の連休に限りでしたが、正月辺りから予約し家族旅行をし始めたのです。デザイナーとして独立仕立てで貧乏暮らしだったのでしたが、年に一遍はどっかにか行こうという事を決めて、そのために金を貯め、九州管内だけでしたがあちこちと行きましたね。

 鹿児島県内、坊津、佐多岬、北薩、霧島全部いきました。日南、高千穂、柳川、福岡、呼子、別府、天草など楽しい時期でした。子供たちも今大人ですが、その旅行をかなり楽しみにしていたようです。これとは別に、仕事柄福岡でデザインの講習会などがあるんですが、ついでに家族も一緒に行ったもんです。その頃は高速も福岡まで繋がってなく、半分下道でしたので夕方たって八代から高速に乗り、福岡の近くの基山とパーキングエリアで車の中に泊まってました。1990年頃ですか、今でいう「車中泊」の走りだったですね。年度別に子どもを一人づつ交代で車中泊もしましたね。

▼佐賀県呼子です。
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▼熊本県天草の山江天主堂です。
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障害者の車の免許-1

 私は免許を取って、35年になりますが、30年前にスピード違反2回のみの違反でした。人身事故もありません。ところが5年前の2月についにスピード違反をしてしまいました。まもなく更新ですが、ゴールドは消えます。残念!

 で、免許はどこで取ったかと言うと、大分の障害者用の教習所で取りました。そのころ鹿児島では取るのは車の持ち込みが原則でなかなか難しかったのです。そこの教習所は別府市(福祉指定都市)は補助を受けていて、教官も障害者の人がいました。そこに住所を移して取れば、10万円ポッキリで時間はかかっても仮免まではそれ以上は必要はありませんでした。もちろん本免許は別です。また、寮があって一日朝夕の食事付で1400円という好条件だったんで、福岡の大学卒業と同時にそこに行って取ったのです。

 その時代の少し前までは障害者が乗れる車は障害者用に作った三輪車、基本原動機付自転車でした。すると1967年辺りからホンダのN360という軽ながら初のオートマチック車が登場し、軽自動車だったら障害者も大丈夫という事で、手動の装置を付けて障害者も手軽とは言わないが乗れるようになったのです。手動の改造はもっぱら整備工場がやってましたが、陸運事務局の審査が大変で、クリアするのに高くついてました。

 1972年ぐらいになるとそのN360が製造終了になり、その代わり普通車の総重量が(乗人5人含めて)1.2トンまでのだと大丈夫という事になり、改造もそれ専用の会社もでき、障害者も割と気軽に車に乗れるようになったのです。

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